交通解説ブログ uwemaの日記 

福島県富岡町訪問記(2023年10月):東日本取材旅行番外編2

目次

前置き

東日本大震災で犠牲になられたすべての方々にご冥福をお祈りします。

被害を受け、今も心に傷を負われている方に、13年を経てもなお、私はなんと声をかければ良いのか分からずにいます。

このブログは収益化を行っておりますが、この記事に関しては、多くの人が悲しみの渦中に居る中で、収益化を行わない判断を致しました。

自動配信の広告は削除し、記事中に挿入する広告も削除させていただきました。

しかし、一部ではありますが、外してしまうと本記事以外で生じる収益が減少することが予想される広告が存在します。

故に、完全に広告を削除することは不可能という結論に至りました。

身勝手な判断で申し訳無いですが、ご容赦ください。

また、今回取材した福島県富岡町に対して何らかの形で貢献できないかと探っている最中でございます。

内容が決定次第、お伝え致します。しばしお待ち下さい。

 

2024年1月16日 「uwemaの日記」管理人

 

番外編の前回はこちら▼

福島県富岡町

富岡町について

富岡町は、福島県の太平洋沿岸部に位置する人口約12000人(取材時)の町です。

南端には福島第二原子力発電所、そして北の方角を向けば福島第一原子力発電所(所在は双葉町)という町です。

全町避難

東日本大震災によって発生した福島第一原子力発電所の事故により、避難指示が出され、先に取り扱った双葉町と同様に全町避難となり、令和2年から令和5年にかけて段階的に避難指示区域が解除されていきましたが、未だに立ち入りできない区域も多く残されています。

出典▼

www3.nhk.or.jp

北側の福島第一原子力発電所は事故を起こしたものの、南の福島第二原子力発電所は奇跡的に事故を免れ(事故を防いだケーブルの話はあまりにも有名)、福島第二原子力発電所に関しては目視できる範囲まで接近できます。

3つの災害

富岡町を襲ったのは原発事故だけではありません。

町には津波が襲来し、富岡駅が飲み込まれました。

地震による崩壊なども当然発生しています。

原発事故、津波、そして地震という3つの災害と対峙し、少しずつ復興に向けて歩みを進めている富岡町を取材し、写真を中心に現状を紹介していきます。

取材記

富岡駅

富岡駅の跨線橋から

富岡駅の跨線橋から

双葉駅から乗車してきた列車は、富岡に到着してすぐに出発していきました。

改札の線量計

改札の線量計

双葉駅同様、線量計が設置されています。

富岡では3時間ほど時間に余裕があるので、レンタサイクルでも借りようと思います。

駅前には観光案内所のような施設があり、お土産の販売やこのようにレンタサイクルのサービスも行っておられます。

レンタサイクル

レンタサイクル

富岡は坂が多い街なので電動自転車です。もちろん有料ですが、おかげさまで息切れはしませんでした。

駅は坂の下に位置しています。

坂を登ると、スーパーや飲食店、そして警察署などがあり、えきから中心部までは少し距離があるといった感じです。

もっとも、多少の住宅地は坂の下にあるので、そこまで通勤・通学が不便というわけでもなさそうですが。

坂を登って腹ごしらえ

坂を上りきると、けっこう平地が広がります。

スーパー

スーパー

交差点

交差点

まずはお昼ごはんを頂きましょう。

中華料理屋さん

中華料理屋さん

特にこだわりはなく、見かけた中華料理屋さんに入ります。

ラーメンと天津飯

ラーメンと天津飯

おいしく頂きました。

双葉警察署

腹ごしらえをしたところで、双葉警察署に向かいます。

悪いことをして出頭するわけではありません。

震災当時、最後まで避難を呼びかけて津波に飲まれた2名の警察官に手を合わせるためです。

事前に電話で問い合わせをしたところ、特段申請等はなく手を合わせることができるようです。

以前は当該警察官が乗務していたパトカーも置かれていましたが、移転展示されているようです。

碑がありましたが、写真に収めるのもなにか違うなと思い、撮らないでおきました。

わざわざ署の方に案内して頂き、率先避難を誓いつつ慰霊し、署を後にします。

津波に飲まれた2名の警察官のうち、1名は太平洋上で発見され、もう1名は未だに行方不明のまま。

あのとき、津波の危険を察知して素早く避難をしていたら…と考えるとなんとも言えなくなります。

しかし、いざ私が同じ状況に置かれたとき、真っ先に避難できるでしょうか?

そう考えると、教訓を活かすことの難しさをひしひしと感じます。

向き合うべきは未来ですが、過去の状況にも理由があります。

その理由を理解した上でないと、単なる結果論になりかねません。

標識

標識

海岸線と福島第二原子力発電所

坂を下り、海岸線を見てみることにします。

漁港

漁港

漁港がありました。朝早くに行けば、また違う富岡を伺うことが出来たかもしれません。

防潮堤

防潮堤

新しく整備された防潮堤です。

奥に、なにやら建物が見えます。

福島第二原子力発電所

福島第二原子力発電所

福島第二原子力発電所です。拡大しているとはいえ、ここまで近くに原発があるものなのだと感じました。

福島第二原子力発電所は事故は発生しませんでしたが、廃炉作業が進んでいます。

富岡駅と防潮堤の間の土地には特段建物等はありません。津波襲来後の傷跡は未だに残ります。

富岡駅(俯瞰)

富岡駅(俯瞰)

富岡駅を俯瞰。

そろそろ、駅に引き返しましょうか。

観光案内所で

レンタサイクルを返却し、少しばかり職員の方とお話させていただきました。

震災当日のお話、そして避難生活のお話、たくさんのお話を聞かせていただくことが出来ました。

記事にする承諾を取っておらず、あまり詳細をお話することが出来ないのですが、特に避難生活のお話が印象に残りました。

当時の情報網は今よりも脆弱で、給水場所が分からずに、遠くの給水場所に向かっていたお話、食料・衣料が不足したお話など。

震災自体の被害も甚大ですが、そこからの避難生活は数年単位です。

ニュースでは最初の数ヶ月は報道されますが、そこからはあまり情報が出てきません。

報道されていなくとも、被災者の生活は続きます。

町民の方にとって「日常」とは何なのでしょうか。

そんなことを考えさせられました。

 

お忙しい中、一介の高校生にご丁寧に説明して頂き、とても感謝しています。

 

お土産を購入します。

富岡町のキャラクター「夜の森さくら子」のシールです。(著作権の都合上写真は掲載しません)

 

夜ノ森は町の北部に位置する桜の名所です。

今はスマホの背面に差し込んでいます。

彼女を見るたびに、この取材、富岡町の光景がが目に浮かびます。

 

気づけば列車の時間です。急ぎめにホームに向かいます。

また会いましょう。双葉、富岡とはしばしのお別れです。

必ずもう一度来ます。その時は、きちんと時間をたっぷり取って、じっくり双葉・富岡を感じたいと考えています。

最後に

冒頭でも触れた通り、富岡町は「原発事故」「津波」「地震」の3つの被害を受けた町です。

そんな震災を経験した被災者の方の心情など、我々は知る術もありません。

自分の大切な人、物が一瞬にして崩れ去る経験など、大半の日本人は持っていないからです。

思い出が詰まった家に、入りたくても入れない。原子力災害の特徴も相まって、むしろ知ろうとすることに恐怖すら抱きます。

我々にできることは何なのか。

それは永遠の問いであり、正解のない問いでもあります。

伝えようのない思いを義援金に乗せる人もいれば、ボランティアとして復興に携わることで思いを紡ぐ人もいれば、私のように途方に暮れてしまう人も居ることでしょう。

この問いを考えることこそ、被災者の方にとって一番の安心をお届けできるのだと信じています。

考えている限り、その思いをなにかで伝えようとするからです。

忘れられることこそ、一番恐れるべきことです。

 

取材に当たって、観光案内所の2名の職員の方、双葉警察署で案内してくださった警察官の方に心から感謝します。

 

最後までご覧下さりありがとうございました。